<特集>
緊迫するカシミール情勢
〜アフガン後のアジア最危険地帯〜
米国による対アフガニスタン攻撃が始まった昨年10月以降、アジアの火薬庫カシミールでもイスラム過激派の活動が活発化し、インドとパキスタンの関係が悪化。アフガン情勢が収束を迎えつつある現在でも、停戦ラインを挟んで両軍の交戦が頻発し、緊張が高まっている。核兵器を保有する両国が本格戦争に突入すれば、全世界の受ける衝撃はパレスチナ問題以上に深刻だ。
地域紛争は通常、民族と宗教の分布を無視した人為的国境と、征服─被征服の歴史的経緯から生じるが、カシミール問題はまさにそうした紛争の縮図といえる。パレスチナに比べると受験生にはなじみの薄い地域だが、地理、世界史、時事問題等で出題の可能性もあることから、カシミール紛争が起きた歴史的背景と現在の状況についてまとめてみた。
◆カシミール問題を生んだインド帝国分裂の悲劇
インドとパキスタンは、もともとは同じ国だった。第二次大戦後、英国による植民地支配からインドが独立するにあたり、イスラム勢力がパキスタンとして分離独立したのが悲劇の始まりだった。
そもそもこの分裂が起きたのは、宗教対立をうまく利用して国内勢力を分断して来た英国のさしがねによるものだった。また、千年以上に及ぶインド内でのイスラム教徒とヒンズー教徒との流血の歴史が根底にあったのも確かである。最後まで両者の和解に努めた非暴力主義のガンジーは、カシミール紛争勃発の年に暗殺されている。
カシミールは、パキスタンとインドに挟まれ、住民の多数がイスラム教徒だったが、藩王(マハラジャ)がヒンズー教徒という玉虫色の地域だった。藩王はインドへの帰属を希望したが、領民が反発してパキスタンを頼ったことから、印パ両国の戦争に発展。その後、国連の仲介で停戦ラインが定められ、印パ両国が暫定的に分割領有することになった。
◆事態を複雑にした中国の介入
こうしていったんは戦火が収まりかけたが、今度は中国がカシミールに介入する。
カシミールに隣接するチベットが中国に併合され、ダライラマ14世がインドに亡命したことから、中印関係が悪化。中国軍がチベットから大挙してカシミールになだれ込み、中国側に張り出した東部を占領した。インドが弱ったところをさらにパキスタンが攻撃し、第二次印パ戦争に発展。その後の第三次印パ戦争ではインドが巻き返して圧勝し、パキスタンは、東パキスタンがインドの支援を受けてバングラデシュとして独立するという屈辱を味わった。
◆インド、パキスタン国内での国粋主義勢力の台頭
1989年にソ連がアフガニスタンから撤収すると、対ソ戦を勝ち抜いたゲリラ組織が次のジハード(聖戦)の標的としてカシミールに集結した。折しもインド国内では、ヒンズー至上主義のインド人民党が台頭し、民衆を扇動してイスラム寺院を破壊。イスラム教徒もこれに応戦し、2千人の死者を出す事態に発展した。
パキスタン国内でもイスラム原理主義が勢力を増し、インド国内のイスラム過激派組織を支援。報復テロとそれに対する再報復という悪循環が続く中、98年には両国が相次いで核実験を行い、お互い引くに引けない立場に立たされている。
イスラム教徒による国家建設の理念を掲げるパキスタンにとって、カシミールを全面的に領有したいのは当然のことである。
ではなぜ、大国インドがこうまでカシミールに固執するのか。それは、中国やパキスタンと接する重要な戦略拠点であるばかりでなく、多民族・多宗教を抱えるインドの存立自体を脅かしかねない危険性をはらんでいることにもよる。
もしインドがカシミールの独立を認めれば、インド国内のイスラム教徒はもとより、シーク教徒やラダックの仏教徒等の独立運動が活発化するのは目に見えている。そうなれば、かつて英国につけ込まれるきっかけとなった小国分立時代が再来し、第二のユーゴスラビアになるだろう。
◆アメリカのパキスタン接近がもたらすもの
現在、インドでは人民党のバジパイ首相が政権を握り、パキスタンでは軍事クーデターを起こしたムシャラフ参謀長が大統領に就任している。
両者とも右翼の強硬派で、「パキスタンはテロ支援をやめろ」「インドはイスラム住民を弾圧するな」と非難し合い、国民の支持を得ている。そこへ来て、米国同時多発テロの発生で、パキスタンとアメリカが急接近したのをきっかけに、カシミールはますます微妙な立場に立たされることになった。
ムシャラフ大統領はタリバンと縁を切り、アメリカから経済援助をこぎつける巧みな外交で対外的に自信をつけている。他方バジパイ首相も、ブッシュ大統領の「テロ撲滅戦争」のお題目に相乗りして、カシミール問題を有利に運ぼうと画策。核使用をほのめかす軍首脳すら出始めている。
さらに、アフガンを追われたアルカイダ等の過激派組織が、カシミールを舞台に巻き返しを図る危険性もぬぐい切れない。通常兵力ではインドがパキスタンの2倍とされるだけに、いったん戦争になれば核戦争に発展する危険性が最も高い地域として、21世紀の脅威になっている。
<メモ>
ヒンズー教……バラモン教から発展したインドの民族宗教。信徒数は6億5千万人で、キリスト教(10億人)、イスラム教(8億4千万人)に次ぐ。
多神教のため偶像崇拝が盛んで、カースト制を支える役割も果たしてきた。その教義は仏教とは親近性を持つが、偶像を否定して唯一神アラーの前の平等を説くイスラム教と正反対であるため、絶えずイスラム勢力からの攻撃を受けてきた。
(五十嵐 淳)
<<インド史・関連年表>>
7c ヒンズー教や仏教を保護したヴァルダナ朝が滅亡し、小国に分裂
8c〜 ウマイヤ朝(アラブ)侵入以後、イスラム教徒が侵入を繰り返す
13c〜 北インドでイスラム王朝支配が始まる(デリー=スルタン朝)
1526 ムガル帝国(トルコ系)成立
18c〜 ムガル帝国衰退に乗じて英国が内政干渉を強める
1857 インド大反乱を英国が鎮圧し、ムガル帝国を滅ぼす
1877 英国領インド帝国成立
1947 インド帝国がインドとパキスタンに分離し英国から独立
1948 カシミールの領有を巡り第一次印パ戦争開始
1959 ダライ・ラマ14世がインドに亡命し、中印関係が悪化
1962 カシミール東部のラダックで中印国境紛争勃発
1965 第二次印パ戦争
1971 第三次印パ戦争
1992 インド中部でイスラム・ヒンズー両教徒衝突(死者2千人)
1998 印パ両国が核実験に成功し、核保有国宣言
1999 印パ両軍の大規模衝突
2001.10 イスラム過激派がカシミール内(インド側)で爆弾テロ(死者40人)
2001.12 イスラム過激派がインド国会議事堂襲撃(死者12人)
10年ほど前、チベット仏教への興味から、カシミールの東に位置するラダック地方を旅行したことがある。ここはインドが実効支配しているが、中国のチベット自治区に隣接し文化圏的にはチベットに属するため、中国とインドで国境紛争が起きている地域である。
高度3千メートルの空港に降り立つと、見渡す限り岩山と氷河ばかりの世界が広がる。空港周辺には戦闘機や戦車が配備され、銀行には土嚢が積まれており、その隙間から突き出された機関銃におびえながら入口をくぐらなければならなかった。
目的の寺院は中国との国境付近にあり厳戒態勢が敷かれていたが、チベット人の群れに紛れ込んで検問を素通りし、無事辿りつくことができた。寺院の扉が開いたとたん、それまでの灰色の世界が一変し、極彩色の壁画と妖しい金色の仏像に迎えられた。めまいを感じる強烈な体験である。不毛と混乱の地であることから来る、宗教の持つ強い説得性を実感した。