<特集>

ある天才画家の波乱の生涯と
不滅の芸術


カラヴァッジョ展を観る


 カラヴァッジョという名前をご存じだろうか?  ゴッホやピカソと違って、よほど絵が好きな人でない限り、名前も知らないだろう。400年以上も前のイタリアの画家で、残された作品も50点足らずと少ないだけに、日本に限らず国外に出されることはまずない。私は展覧会にはめったに行かないし、カラヴァッジョを好きでもなかったが、2度とお目にかかれないかもしれないという物珍しさで今回の展覧会に行ってみた。そして想像以上に感動して帰って来た。この記事を読んで少しでも興味を持った方は、食事代を1回分節約してでも行ってほしい。

■悪党の烙印を押された波乱の生涯

 カラヴァッジョ(1571〜1610)は、17世紀バロック絵画の先駆者であり、その後の美術史の流れを変えた革命児である。その短い生涯は、彼の作品と同様、反抗的で激しさに満ちていた。
 ミラノ近郊のカラヴァッジョ村に生まれ、4歳で父を、19歳で母を亡くし、天涯孤独となる。画家の修行は12歳から始めていたが、20代に入ると並外れた写実力で注目を集め、ローマ教皇庁の権力者であるデルモンテ枢機卿に目をかけられて宗教画の制作を始めた。しかし、あり余る才能と情熱を持っていた彼は、聖職者の機嫌をとりながらお抱え画家として名士の仲間入りをする道ではなく、自由に絵を描き、生きたいという欲求にかられていた。
 だが、カトリック教会が支配する当時のイタリアで、そのような自由は許されなかった。彼が個性を発揮すればするほど従来の宗教画の決め事からはみ出し、「猥雑だ」「無教養だ」「神への冒涜だ」と罵られ、注文主から作品を突き返されることもしばしばだった。
 理解されない不満のはけ口は、酒や博打、喧嘩に向けられた。絵を描く以外は剣を片手に町をうろつき、気に入らない相手を見つけると暴言を浴びせ暴力を振るい、数々の傷害事件や名誉毀損事件でローマ中に悪名を広めた。ついには教皇庁の警察官を殴殺し、さらにテニスの賭け試合がもとでチンピラの親分を刺殺。ローマ教皇から「見つけ次第殺してよい」という死刑宣告を受け、4年の逃亡生活を送ったが、暗殺団の手にかかって重傷を負い、海岸で遺体が発見された。38歳の若さだった。
 カラヴァッジョは逃亡中も最後まで絵筆を離さなかった。服を着たまま剣を抱いて寝るという極限状況の中、それまで誰も描き得なかった、人間の生と死をありのままに描写する緊迫感に満ちた傑作を残したのである。

■反逆児のもたらした不滅の芸術

 展覧会場の入口を入ってすぐのところに、カラヴァッジョの仇敵バリオーネの描いた作品「聖愛と俗愛」(1602年)がある。この絵は、少年と悪魔が情事を貪っているさなかに天使が舞い降りて行為を中断させる場面を描いているが、ここに描かれた悪魔はカラヴァッジョの肖像と伝えられている。なるほど、目をむいて今にも襲いかかってきそうな、凶暴な人相だ。バリオーネは自分を侮辱したカラヴァッジョの同性愛を暴露するために描いたのだが、ここでは皮肉にもカラヴァッジョに華を添える役回りを負わされている。
 このバリオーネの絵の向かい側に、「果物かごを持つ少年」(1593〜94年)がある。日本だと秀吉の時代に描かれたものなのに、間近で見ると昨日描かれたかのようなみずみずしさだ。ブドウなどは今にも画面からこぼれ落ちそうで、まだ二十を過ぎたばかりの彼の完璧な写実技法が分かる。当時、ボルケーゼ枢機卿(教皇に次ぐ高位の聖職者)は、この絵ほしさに所有者を武器所持の疑いで逮捕し、絵を没収したという。
 もちろん、写実の完璧さはカラヴァッジョの偉大さのごく一部に過ぎない。彼の真の偉大さは革新性にある。
 当時の画家の多くは、16世紀にイタリアで花開いたルネサンス(レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ等)の流れを汲み、神をたたえるために華麗で均整のとれた理想の世界を描いていた。これに対してカラヴァッジョは、宗教画にも容赦なく現実の悲惨さを持ち込んだ。聖者のモデルに名もなく貧しい庶民を使ったばかりか、キリストやマリアの死を描くために、墓から死人を掘り起こしたり、娼婦の溺死体をアトリエまで運んで来るという徹底ぶりだった。
 彼は、仏頂面の聖者をごたごたした装身具で飾り立てるのにエネルギーを費やす代わりに、激しい苦悩や法悦をたたえた細やかな表情を丹念に描写した。そして人間の姿をリアルに浮き上がらせるために画面全体を暗くし、神を象徴する鋭い光で照らして、明と暗の劇的な対比を生み出した。こうした技法により、それまで誰も目にしたことのなかった人間の真実の姿が表現され、神の偉大さや、人間と神との神秘的な交流の瞬間までもが画面に立ち現れた。彼の絵はまたたくまにスペイン、オランダ、フランドル地方へと広まり、レンブラント(1606〜69)等の画家に多大な影響を与えたのである。

■宗教改革の落とした影

 彼が生きた時代は、ルターの宗教改革(1517年)により権威の失墜しつつあったカトリック勢力が、巻き返しを図るべく威信をかけて聖堂の建設や宗教画の制作を後押ししていた時代だった。カラヴァッジョはカトリックの本拠にありながら、聖職者の欺瞞を見抜き、あえて聖堂を飾り立てるだけの華麗な絵を描くことを拒んだ。彼の描いた、ぼろを身にまとい、苦悩の表情をたたえて神と一対一で対峙する聖者の姿は、むしろ本質的には教会を否定した新教徒の姿に近かった。そしてそれはまさに、近代個人主義の芽生えを告げるものであった。
 彼は自らの反逆的な生きざまと作品を以て、芸術家にとっての輝かしい理想郷「ルネサンス」と決別し、暗黒のバロックの幕を開いた。そしてその強烈な個性の故に、400年を経てもなお世に衝撃を与え続けている。


■カラヴァッジョ展の楽しみ方

 カラヴァッジョの絵は決して難解ではない。後世の批評家が彼のことを「教養のない大天才」と呼んだように、むしろ大衆の視点に立ち、取り澄ました聖職者たちをあっと驚かせるような娯楽性やエロチシズム、残酷性を持ち合わせている。
 まずは、画家の人生や時代背景はさておき、純粋に絵の美しさを味わっていただきたい。そして描かれた人物の細やかな表情や動きを目で追ってほしい。そうすれば、時代や国を越えた普遍的な人間像が浮かび上がって来て、絵の中に引き込まれていくだろう。それには、実際に展覧会場に足を運ぶよりほかない。鳥が本物と間違えてついばもうとしたと言う伝説も十分にうなずける、ブドウのみずみずしさをちょっと覗いてみるだけでも、行く価値は十分にある。
(五十嵐 淳)