<特集>
「考える」ための
本、3冊
公務員試験を控える受験生にとっては、昨年までの暮れや正月と違い、なんとも落ち着かない、ゆっくりできない年末年始になるに違いない。それはそうだろう、自分の将来を運命づける就職試験(公務員試験)がすぐそこに迫ってきているのだから。しかし、年末年始くらいは、過去問集や参考書から目を離し、大きく視野を広げ、自分自身の頭で、日本のこと、世界のこと、そしてそのうえで地域のことを考える、ゆったりとした時間を過ごしてほしい。
たしかに公務員試験に合格するためには多くの知識が要求される。公務員にとって様々な教養が身についていることは重要なことであり、住民からしてみればそうでなければ困るともいえる。しかし、本当に住民のよりよい暮らしを実現していく原動力となるのは「豊富な知識」ではない。公務員となる君たちの「自分の頭で考える力」だ。過去にとらわれない自由な発想が、新しい世の中を創造していくのだ。今号では、そういう時間を過ごすための本を3冊紹介しよう。
さあ、過去問集を閉じ、自由な発想で、本当の豊かさを考えてみよう。
ファンタジー小説 |
『モモ』 |
ドイツの作家ミヒャエル・エンデの『モモ』は、1973年の発表以来、30以上の言葉によって子供から高齢者に至る幅広い読者に親しまれています。
この物語は、浮浪児である主人公の女の子モモが、人々から時間を奪おうとする時間泥棒との命がけの闘いによって、ゆったりとした人間らしい時間を取り戻すというお話です。 もともとモモは、怒ったりけんかをしたり、せかせかと生きている人たちの話をじっくりと聞くことで、いつの間にかその人を幸せな気分にさせるという不思議な力をもっていました。
そこへやってきたのが時間貯蓄銀行からきた灰色の男たち、つまり時間泥棒たちです。彼らは、時間を節約して時間貯蓄銀行に時間を預ければ、利子が利子を生んで通常の人生の何倍もの時間が手に入るといって人々をそそのかし、時間的に余裕のない生活へと追い立てます。
たとえば、町で評判の床屋のフージー氏は、お客を相手におしゃべりするのも好きでしたし床屋の仕事も楽しく、腕に自信もありました。でも、ふと何もかもがつまらなく思えて「もしもちゃんとしたくらしができていたら」なんて考えるときがありました。誰にでもあることです。
そこへやってきた時間泥棒がこう言います。「フージーさん。あなたははさみと、おしゃべりと、せっけんの泡とに、あなたの人生を浪費しておいでだ。……もしちゃんとしたくらしをしていたら、あなたはいまとはぜんぜんちがう人間になっていたでしょうにね。ようするにあなたが必要としているのは、時間だ。そうでしょう?」
そして、1日2時間の時間の節約で生涯時間の10倍以上がたまることを細かな計算ではじき、時間の貯蓄の手ほどきをします。すっかりその気になったフージー氏は、時間を節約するため仕事は無駄口をたたかず短時間ですまし、かわいがっていたインコも売り払い、年老いた母親のお世話も養老院にまかせました。その結果、彼は次第に怒りっぽくなっていきます。
こうして、フージー氏のように時間を貯蓄する人々は、いい服装をしてお金をよけいに稼いでいても、時間とともにますます時間に追われ、「大切な何か」を失っていきました。モモは、この「大切なもの」を取り戻すために闘う救世主なのです。時間泥棒がやってくる前に、モモの活躍ぶりに拍手し、「時間」について考えてみてはいかがでしょうか。
『エンデの遺言』 |
『エンデの遺言 河邑厚徳+グループ現代 |
『モモ』はエンデが44歳の時の作品です。このようなファンタジーが生まれる背景には画家であった父の影響が大きく、小さい頃から「自明とされることを自明のものとしないで、目に見えるものの背後に思いを凝らす姿勢」が養われたといいます。
そして、エンデが「自明とすることなく」最後まで問い続けたのが「お金」の問題でした。
『モモ』は、多忙な現代社会における余裕のない生活が見失ったもの、時間の本当の意味やゆとりの大切さを訴えたものとしてとらえられてきましたが、エンデ自身は「いや、いや、ちょっと違います、とは言いたい。私としてはもう少しさきのところまで言っているつもりなのです」と、ある対談でこたえたそうです。それこそがお金
への問題意識だとされています。『モモ』に登場する時間貯蓄銀行なるものが、不正な貨幣システムの象徴であるとして『モモ』を読み解く経済学者もいました。
『エンデの遺言』は、エンデが日本人への遺言として残した1本のテープ(1994年2月、ドイツ・ミュンヘンの自宅にて)がきっかけ
となっています。そこでエンデは、資本主義経済における貨幣システム、金融システムに疑問をもち、さまざまな問題が経済活動と結びついていることから、「問題の根源はお金にあるのです」と述べています。
このときすでにガンに蝕まれていたエンデは、翌95年8月に帰らぬ人となりますが、「お金」への問題意識を著作を含めあらゆる機会を通して訴えたエンデの遺言として、1本の番組「エンデの遺言││根源からお金を問う」(1995年5月4日放送)が作られました(制作:
NHKエンタープライズ21とプロダクション「グループ現代」)。この番組から生まれたのが『エンデの遺言』です。
この本では、エンデの「お金」についての考えから、そのエンデに影響を与えた「自由貨幣」の提唱者ゲゼルや「老化する貨幣」の提唱者シュタイナーの貨幣理論、さらには、ゲゼルの理論がアイデアともなっている未来の貨幣としての「地域通貨」の動きなどを通して、「お金」が問われています。
エンデは訴えます。「重要なのは、例えばパン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式取引所で扱われる資本としてのお金は、二つの異なった種類のお金であるという認識です。……特に先進国の資本はとどまることを知らぬかのように増えつづけ、そして世界の5分の4はますます貧しくなっていきます。というのもこの成長は無からくるのではなく、どこかがその犠牲になっているからです」と。
そして、「物質的な豊かさだけが人生を価値あるものにすると考える限りは、他のことに目を向けることはできません。……銀行に巨大な資本が蓄積されていても、自然資源が
破壊していれば何の役にもたちません」と。今日の資本主義経済における金融システムにおいては、『モモ』の時間泥棒ならぬ資本泥棒にも注意が必要なのでしょうか。
『豊かさとは何か』 |
『豊かさとは何か』 暉峻淑子著 |
ドイツ人のエンデは、「お金」を問うにあたって、同じドイツ人であるシルビオ・ゲゼルとルドルフ・シュタイナーに大きな影響を受けました。
ゲゼルの思想は自由貨幣(消滅貨幣、スタンプ貨幣)の提唱者として、今日の地域通貨のあり方を考える際に必ずといっていいほど引き合いにだされます。シュタイナーの思想は、有名な「シュタイナー学校」の教育で実践されています。
ドイツといえば現在では環境先進国としても有名ですが、このドイツ(当時は西ドイツ)での体験をもとに、ドイツの豊かな自然環境、美しい町並み、のびのびとした教育、ゆとりある生活、充実した社会的共通資本などについて、金持ち経済大国日本と対比させつつ、本当の「豊かさ」とは何かを問いかけているのが『豊かさとは何か』
です。この本は、日本のバブル経済華やかしき頃、1989年に出版されました。
1989年、モノとカネにあふれた日本では、浮かれた日本人の「財テク」によって株価がピークとなった年です。エンデのいう「株式取引所で扱われる資本としてのお金」が、増殖していったわけです。でも、翌1990年にはバブルが崩壊、今度はその「お金」は減価の一途をたどり、10年経った今でも、さまざまな傷跡を日本経済に残しています。
著者は「狂った」バブルに踊り酔った日本人に対して、「物質的な豊かさ」に警鐘をならし、ドイツとの対比で見えてくる「日本の貧しさ」についての問題提起をしています。
「『豊かさとは何か』というテーマは深くて広い」としながら、日本中が浮かれていた1989年に、「いまこそ日本は、そのことをもっとつきつめて考えなければならないのではないか」とメッセージを残しています。
10年以上経って、しかもバブル崩壊後の苦い経験をして、「豊かさとは何か」への答えは変わったのでしょうか? エンデは、先にこう言いました。「物質的な豊かさだけが人生を価値あるものにすると考える限りは、他のことに目を向けることはできません」と。10年前と同じく、私たちの目の前には、本当の「豊かさとはなにか」という「深くて広いテーマ」が存在しています。