<続・喜治賢次の目線>

VOL.16
新宿歌舞伎町と風営法


 東京都の銀行税だけでなく全国の自治体が独自の政策をどんどん展開している。
 昭和60年4月に私が採用された新宿区役所は「世界の歓楽街」として有名な歌舞伎町のど真ん中にある。任命式の会場のすぐ外には風俗店があり、その店先で流れている「のぞき部屋○○」というエンドレステープが、式典の間ずっと聞こえていた。
 当時、新宿区では歌舞伎町を健全で安全な町にしようといろいろな政策を展開していた。昭和59年に成立した「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」は、新宿区の区長以下の努力が実り実現した法改正だと聞く。まちを変えるために法改正が必要であれば、国を動かして法律の改正までもするのだ。
 新宿区役所の1階フロアには図書館がある。風営法では、学校、図書館などの教育施設から200メートル以内で性風俗営業をしてはいけないことにした。それに合わせて、歌舞伎町のど真ん中に図書館をつくることで、区役所周辺200メートル、つまり歌舞伎町を性風俗禁止区域にしたのである。 当時、私が配属された課の先輩(7年目くらいの方)が、これら条例整備、法的適合性の理論武装などのためにかなり勉強をされていた。このあともろもろの状況が絡んでのことと思うが、歌舞伎町の一角にあったソープランド通り(そういう名前だったかどうか忘れたが、ずらっと並んでいる通りがあった)はつぶれ、今では空き地になっている。
 もともと築地の歌舞伎座が焼けたときに、ぜひ新宿にと町名を変えてまで誘致活動をしたのだそうだ。が、その後、戦後の混乱で結局歌舞伎座は来ず、その予定地にはコマ劇場ができた。歌舞伎町は、毎日昼間は全国各地から訪れる演歌ファンの高齢の方々でごった返している。夕方は、カラオケボックスに集まる女子高生がたくさんいる。とはいえ、まだまだ風俗店がひしめき子供連れでのんびり散歩できるような街ではない。
 映画館が20数件も集い、コマ劇場を擁する歌舞伎町が、「世界の風俗街」から「世界の文化の発信地」、ニューヨークのブロードウェイのように呼ばれるような街にできるかどうかは、公務員の頑張りにかかっている。